2007年04月26日
わたしのテニス
初めてラケットを握ったのは20代のはじめだった。
まあ、たいして本気でやることはなくたまにストロークを 彼や彼のお父さんとするくらいだった。
振り返って、あの頃にもっと本気でやっていれば今もう少しはましなプレイができているだろう。
でも、その頃はこんなことになるなんて想像もできなかったのだ。
子ども達が幼稚園に行きだしてから近所のママ仲間とコートに集まりだしたのが15年前。
ほとんどが素人でそれでも週一でなんとか続いてきた。
高く上がったら打てない、打たない、ボレーはやり方がわからない、サーブは入ればいいのよ、ってかんじでも、みながそうだったから楽しかった。
変化があったのは数年前、加入した友達が試合に目覚めたのだ。
彼女に続いて草大会に出始めたりスクールに入ったりの仲間が増えだした。
わたしも置いていかれたくないってだんだんとヒートアップ。
でもまだ、試合には出たくない。
できないことが多すぎる。
できないままでも出られなくはないし、負けてそれをバネにとは聞く。
ま、いいの、自分に納得できるプレイをすることがわたしのテニスの目的で
試合に出ることじゃないわ。
かつて、レベルが下のように思われる相手に何度も負けて応援しながらいつも悔しい思いをしたごうせんの試合、あれがきっとトラウマになってるんだ。
まあ、たいして本気でやることはなくたまにストロークを 彼や彼のお父さんとするくらいだった。
振り返って、あの頃にもっと本気でやっていれば今もう少しはましなプレイができているだろう。
でも、その頃はこんなことになるなんて想像もできなかったのだ。
子ども達が幼稚園に行きだしてから近所のママ仲間とコートに集まりだしたのが15年前。
ほとんどが素人でそれでも週一でなんとか続いてきた。
高く上がったら打てない、打たない、ボレーはやり方がわからない、サーブは入ればいいのよ、ってかんじでも、みながそうだったから楽しかった。
変化があったのは数年前、加入した友達が試合に目覚めたのだ。
彼女に続いて草大会に出始めたりスクールに入ったりの仲間が増えだした。
わたしも置いていかれたくないってだんだんとヒートアップ。
でもまだ、試合には出たくない。
できないことが多すぎる。
できないままでも出られなくはないし、負けてそれをバネにとは聞く。
ま、いいの、自分に納得できるプレイをすることがわたしのテニスの目的で
試合に出ることじゃないわ。
かつて、レベルが下のように思われる相手に何度も負けて応援しながらいつも悔しい思いをしたごうせんの試合、あれがきっとトラウマになってるんだ。